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    原爆 2018.08.06 (月)
    毎年書いてるこのコラムですが
    今年はこれと言って思いつかなくて
    書かないままでいました。
    何となく日本全体が不穏な空気に包まれつつあるのが
    怖かったからというのあります。
    たいしたことではないですが10月も後半に入ってこの時期にちょこっと。

    被爆者であった祖父ですが
    私は原爆のことを直接聞くことはありませんでした。
    住んでた場所が遠く盆正月に行って楽しい時にそんな話で
    悲しい思いをさせたくなかったのもあります。
    気軽に聞ける話ではありませんでした。

    ただ、祖父母と同居している同級生は
    夏休みの宿題で祖父母から原爆体験を聞いて
    まとめた子も居ました。
    あれは、今考えたら貴重な物ですよね。
    当時の先生、学校が責任もって保管して下さってれば良いのですが。
    原爆 2017.08.16 (水)
    ようやく「この世界の片隅に」を観ました。
    とても良かった。情緒に流されること無く
    脚本の基本はきちんと押さえて基礎的な部分も
    しっかりした映画だったと思いました。

    映画の感想はまた後日書くかもですが
    映画観てふと思い出したこと。

    うちの祖父は被爆者だということは何度か触れましたが
    すこし引っかかってたことがあるんです。
    ちなみに祖父の紹介をすると
    当時軍隊で広島にいて
    当日近辺は広島にあった大本営(爆心地近く)から少し離れた某所に重要書類を
    運ぶ任務に就いていました。
    離れたと言っても爆心地から2~3㌔。被爆圏内です。
    (アメリカが新型爆弾を開発した情報が既に軍に入っており
    広島に落とされるかもということで
    祖父は重要書類を少し離れた場所に移してたのです。
    これを広島以外の人に話したときに離れた場所に移す=被爆圏外と思われ驚いたのですが
    軍が大丈夫と思ってた場所が完全に被爆圏内だっただけで
    原子爆弾がいかに当時の人の想像を超えてたか分かります


    話が長くなりました。
    それで、母が退職したこともあり祖父の足跡を調べたのですが
    どうも、祖父の被爆場所が本人が言ってた場所と違う感じなのですよ。
    祖父は当時比治山(山といっても丘程度)の裏で被爆したため
    無傷だったと言ってたそうですが
    祖父のいた部隊が比治山の表、焼けはしなかったけど建物が相当損壊し
    すぐ近くの橋のたもとで後に原爆の語り部となった有名な方が被爆して
    酷いケロイドを負ったとか、あまり大丈夫とは言えない場所でした。
    そういえば、祖父の話も建物内に居たときに原爆が落ちて
    外に出たら爆風でいっぱい部下が死んでたとは言ってたのです。
    山の裏と言っても先に言ったとおり被爆圏内なのでそういうこともあるかなと思っていたのですが
    「この世界の片隅に」を観たとき
    ひょっとしたら祖父は家族に心配かけたくないと少しだけ嘘をついたのでは?と思いました。
    勿論母の記憶違い、聞き間違いの可能性もあるのですが。

    本当に大した話ではないのですが
    映画を観たときその当時の人の気持ちに思いを馳せてしまったので
    そんなことを考えてしまいました。

    (追記)
    あれからふと思ったんですが
    場所をぼかしたのは家族のことを思ったためじゃなくて
    軍事機密だったから?とか思いました。
    軍事機密だったから居た場所を山の裏手だと誤魔化したのか
    逆に本当に山の裏に書類を隠す施設があってそこに居たのかも・・・
    そしてひょっとしたらその施設にはまだ大本営にあった機密文書が人知れず眠ってるのかも知れないと
    思ったり。(ちなみに本当に丘程度の山なので当時祖父の部隊がいた施設の場所を考えても
    何らかが起きても5分程度で走って行ける距離です)
    と夢を馳せたいですが本当に小規模な山で今は全体が公園なのでどこかに書類を隠せるような場所は無いでしょうね・・・。
    原爆 2017.08.06 (日)
    すいません、遅刻してこっそり投稿。(現時点で8月8日)
    8月6日、ちゃんと朝起きて黙祷しました。
    人生で一回だけ仕事で夜型になって朝起きれなくて
    黙祷できなかった年があるんですけど
    いまだに後悔しております。

    ということで去年書こうと思って忘れてた原爆コラム。
    私が昔平和公園の横の川で原爆瓦を拾ったことは書いたことある気がするんですが
    母の話。
    母の大叔父は戦後平和公園近くに洋裁店を開きそこで暮らしてましたので
    夏休みはよく叔父の所に遊びに行ったそうです。
    で、相生橋の上から飛び込んで遊んでた時の話。
    (うちの母、ちょっとむちゃくちゃな人なので
    「あの橋、めっちゃ高さあるけど!???って突っ込まないように。)
    欄干下水中でなんと人間の頭蓋骨を見つけたそうです。
    で、テンション高く
    ゴカイ(虫。ムカデみたいなのがたくさんたかってたらしい)まみれの頭蓋骨を
    「ヒャッハー!こんなん見つけた!!」と
    大叔父の所に持って帰ったとか。
    いや、色々ツッコミどころが満載なのですが
    さておき、頭蓋骨は勿論被爆者のものでした。
    母は戦後生まれなので逆算しても戦後10年以上は経ってるかと思いますが
    まだまだそんな状態の骨がごろごろしてたんですね。
    原爆投下で身元不明者が5万人もいるとのこと。
    「多いな~それだけの被害だったんだなあ」とは思ってましたが
    311で名前も顔も分かってるのに遺体の引き取り手がない人の数を見ると
    5万人という数字は決して大げさじゃないんだなと実感しました。

    前にも書きましたが、この時期、広島の公共機関では
    原爆で亡くなったけど名前、住所等が判明してる方々の情報が貼り出されてます。
    ネットからも見れるので
    もし、県外の方でも身内に原爆で亡くなったらしい方がいらしたら
    確認してあげて下さい。

    原爆供養塔納骨名簿
    http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1436921274004/index.html
    原爆 2016.08.06 (土)
    原爆の日でした。
    が、忙しくて今年はコラムが書けなくてすいません。
    ちゃんと朝起きて広島の方向に黙祷しました。

    平和公園のポケGO削除されたようで
    何よりです。神聖な場所云々もあるけどお年寄りとか子どもとか観光客が多いし
    公園と名前は付いてても
    遊びに入る所ではないですから。
    (遊びたかったら近くに中央公園とかあるので市民はそっちに行くのよ)
    学生時代近道でも絶対自転車で通り抜けしなかったなあ。
    私には霊感とかないけど、あそこは一種教会みたいな空気があるから
    何かあるんだと思います。(行ったこと無い人は行ってみるといいよ)
    →続きを読む?
    原爆 2015.08.06 (木)
    8月6日です。
    連載中の「ポケネコにゃんころりん」原爆編は丁度
    この前後に終わるようにしております。
    戦後70年の節目に
    被爆三世としての私にこういった機会を設けて下さった
    赤旗新聞局の皆様に大変感謝しております。
    連載は通常モードに戻りまだ続きますが
    今年中お付き合いいただくと幸いです。
    (読み逃した方は・・・現時点では
    う~ん図書館とかお問い合わせ下さい)

    連載でも描きましたが
    原爆供養塔納骨者名簿という
    名前が分かってるのに遺族が名乗り出られてない
    名簿があります。
    ポケネコ14-3

    近年遺族が見つかった例では
    「原爆で死んだだろうことは分かっていたが
    名簿に名前が載ってると思わなかった」といった方だったそうです。
    もし、親類縁者で原爆でなくなった方、もしくはその前後に
    行方が分からなくなってる方がいらしたら
    名簿を見られてみては如何でしょうか?
    亡くなった方でも最期の足跡が分かると感慨深いし
    何より相手への供養になると思います。

    名簿↓ページの下の方にあります
    http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1436921274004/index.html

    一族全滅してしまったのでしょうか
    住所も名前も分かってるのに遺族が名乗り出ない人が本当にたくさんいて
    この名簿を見るだけでも生々しく悲しいです。
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