原爆 2012.08.06 (月)
8月6日です。

そういうことで恒例の原爆コラム。(恒例?)

わしのじいちゃんは
市内の比治山と言うところで
被爆しました。
無題
じいちゃんは陸軍に居たのですが
アメリカが新型爆弾を開発したという情報は
既に入ってて
大本営(当時大本営を広島に移してた)から重要な書類を
比治山に移す作業をしてたのですね。
(大本営は広島城付近、この距離なら
大丈夫と思ったのでしょう・・・;;)
幸いにもじーちゃんがいた建物は
比治山の裏側、直接閃光は浴びなかったのですが
光った瞬間、じーちゃんは
「ヤバイ!」と思って
書類棚かなにかの下に隠れたのですが
部屋の中は爆風でめちゃめちゃになったそうです。
隠れたお陰で無傷だったじーちゃんですが
朝、大本営に部下を伝令に出したことを
思い出し
市内に探しに行きました。
直後は火は回ってなかったそうで
悲惨な状況を目にするのですが
それはまた別の話に。
そして、大本営のすぐ近く、
紙屋町の鯉城通り付近で火が回り
大本営には行けないと断念。
引き返すわけです。
(今思うと無事引き返せたのも本当に
運が良かったと思う。)

そして、比治山に戻り
燃えさかる広島を見ながら
「日本はもうダメだ!戦争に負けた!」
と大酒をあおったそうです。

その後、じーちゃんは陸軍だったので
そのまま広島に残り
被爆者の救護活動で
数ヶ月過ごします。
ばーちゃんの待つ家には連絡も出来ず
(三次市作木町)
原爆から1ヶ月
ばーちゃんも流石にもうダメだろうと
じーちゃんのお葬式の用意を
してましたが
お通夜の日に一通のじーちゃんの
「生きてます」という葉書が
届いて急遽お通夜もお葬式も取り消しになったそう。

その後、原爆を受けた人たちが
原因不明で(放射能の知識がないので)
突然亡くなっていったりしますが
じーちゃんは(晩年ガンになったけど)特に
不具合もなく、
ばーちゃんは「これは被爆直後に大酒を食らって
体内が消毒されたに違いない」

酒は素晴らしい!
という理屈が出来、
その後生まれた母、
従兄弟の兄弟に
生まれたときに
「お酒に強い子になりますように」と
眉間にお酒をすり込む儀式をしたとかで・・・・
母も従兄弟も困ったほどに大酒飲みです。(-_-)

さてはて、大酒と放射能の関係ですが
私は一概に関係がないと言えないと思っております。
当時、火傷には水を飲ませてはいけないと言われていて
沢山の人が水を求めつつ
飲ませてもらえず亡くなったそうですが
助かった人の話で
「もう死ぬんだから」と諦めて身内が
水を飲ませてくれて
(飲んだ途端、胃の中の物を吐いて
そして、)助かった人がいるそうです。
私は水のお陰で体内に入った放射能が溜まらず
出て行きやすかったのではないかと
思います。

最後に、伝令に出した部下は行方不明、
遺体も見つからなかったそうです。
ご冥福をお祈りします。
じーちゃんも心残りだっただろうと
思います。